心も体もふわっとあったかくなる
心身の調律師 直(ナオ)です。
多くの方から”不思議だ” “何なんですか?”と聞かれる
私が行っている整体(ヒーリング)について現時点で整理していることを
書きます。今回シリーズでこれを書くことは相当考えましたが、キッチリ
一度書くことで必要な方に情報が届くという思いで書きます。
今年から月1回ペースで年内は連載します。
苦手な方は、読まないでスルーしてくださいね。
そうでない方は、そのまま感じたことや事実を書いていくのでお付き合いください。(笑)
今回は、神社や神棚のエネルギーのことを書きます。
今まで投稿した記事
- 不思議について 〜整体屋から感じた潜象界への考察 その1〜
- 潜象界という感じについて 〜整体屋の考察その2 背景1〜
- 不思議について 〜整体屋の考察 その3 背景2〜
- 不思議について 〜整体屋の考察4 背景3 胸の氣の溜まり〜
- 不思議について 〜整体屋の考察5 背景4 神社の通り道とエネルギーの噴き上がり〜
- 不思議(潜象界)について 〜整体屋の考察6 岡本先生
これからの予定(題名のみ)
◯奈良での稽古
◯道場を閉めるかも 〜悩みと行動〜
◯災い転じて福となる 新たな先生方との出会いと新たな扉
前編・後編
◯故障を通して得たもの
◯整体を習いに
◯ある夜の決断
◯嘘をつかない人生のスタート
◯“あなたはわかるからいい” クライアントとしての衝撃の事実
◯まとめ
エネルギーの噴き上がり、噴き下がり
不思議について 〜整体屋の考察5 背景4 神社の通り道とエネルギーの噴き上がり〜
この記事でも少し書きましたが、もう少し詳しく書いてみたいと思います。
(ただ言葉での表現が難しいこともあるのですが、頑張ってみます。)
多くの場所が地のエネルギーの噴き上がり・噴き下がりです。
稀にですが、そうでないところもあります。
日本全体は、下がっているので細かい・作り込むようなことが得意な面があると思います。
そういう場所は、エネルギーの残渣(残りかす)感情を感じることもある。
何かのエネルギーが演じていることもある。
それらは嫌らしく楽しむ。面白がる傾向もある。
何もない場所
神社があって社殿のある場所が必ずエネルギーがあるとは限らない。
“あったかくなる”=”清々しいエネルギーがある”ではないです。
結構すごいなあと言われているところが私の体感ではあまり無いということもありますね。
ただし、これはどのようなところに野球でいう球団に所属しているかということにもよるかもしれないです。
神社でも参っている場所がエネルギーがある場所でない
鳥居や本殿・御神体があってもすでにエネルギーがなかったり、変質したりしているところも多い感じがします。
また、全く違う場所に感じたりすることもあります。
俗に言う”結界”も明らかにハッキリとわかるものや無いように感じていてもバリヤのように閉じ込めて入らないと感覚できないなど何種類か感じます。この辺りは、別の機会に書いてみたいと思います。
捉える検知範囲や感度に差がある可能性
なぜこのようなことを書くかというと各々のスピリュチュアル(俗に言うスピ)の方が捉える検知範囲や感度に想定以上に差がある可能性が高いとわかってきたことです。
意外とアバウトかも
多くの場合、意外と検知範囲や感度がアバウトな可能性があります。
極端に言うと有無のみ。
特に五感での検知は極めて不安定だと思います。
特に五感で捉えている場合は、その可能性が高いと感じています。
誤解を恐れず書くと結構すごいと言われる方々でも、区別がついていなかったり、種類を明確には検知できていない可能性もあります。どの層とチャネルが取れているかにもよるし、ある意味騙されていることもあるようです。(その度合いも自身が招いていることや進む方向性により何らかの影響が受け易い等様々ですね)
感じる=”扱える・使える”ではない
そういう観点で観ると感じる=”扱える・使える”でないことが見えてきました。
潜象界も様々
潜象界も様々で誰でも使える(扱える)ものと人間としては使ってはいけないものがあると感じています。
(ここでは書きませんが、体験も体感もあります。)
新しい時代と中庸
そういう観点では区別していくことが大切だとセッションしていて思います。
エネルギーと3次元のちょうど真ん中付近がいいような氣がします。
いわゆる中庸です。
現時点の紫鯨亭は3次元寄りの中庸を歩んでいます。
エネルギーが全てなんですが、もう少し物質側に寄り添いたい。
かといって科学的・アカデミックなことを指向はしません。
(私の感覚では、科学自身が幻想かもしれないと思っています。)
キツイかもしれませんが、新たな段階に入ってくるように感じます。
あとがき
今回は、今までの中でも極めて不思議で怪しい系のことを書きました。笑
時間が経過し自身も変容する中でどんどん変わることもあると思います。
しかしながら、真理はひとつだと感知しています。
この辺りになると比喩表現でも難しくなっていることもありますが、誰かの役に立つこともあると思うので今後も少しずつでも書いていきたいと思います。
※あくまでも個人の感想です。